2011-03-30

被災地から 2

避難所となっている石巻市立釜小学校へ。


付近の住民およそ320人が避難していました。ちょうど富士吉田市の炊き出しボランティアがカレーライス等を配布していました。

市町村と自衛隊とボランティアの連動ができていないようで、それぞれがそれぞれの判断で支援物資を動かしている感じがしました。水が足りないと要請すると、水ばかりが届いたりということが毎日のように起こっているのだそうです。


また避難所にいない被災者からは、物資の配給がどこでいつ行われるのか全く知らされず、街を歩いてみて初めて分かるという状態です。そうなると家にいるお年寄りは物資を手に入れるすべが無いのではないか。周りの人が声をかけてあげないと。そう考えると、どんなことでも、何かできることがある。


いま、避難所の人たちが必要としているものは、なんでも集めてしまうような人たちとは大きなギャップがあります。私が見た範囲では、食事、水、毛布等はすでに届いているようです。ガスが止まっているので調理ができません。だからカセットガスコンロ、ガスボンベです。これは当然中古でも可能でしょう。また、着の身着のまま避難されたので、靴が流されている人が多く、また町中がぬかるんでいるので靴、長靴が必要です。これも現地で話してみると新品とか言っている場合ではなくて、きちんと使えるのもならば中古でも可能です。特に子供の長靴とかはいいのではないでしょうか。靴下も中古でもいいようです。なにせ洗濯ができません。また衣料品は防寒着としてのアウターばかり届いて、実際はズボンなどボトムが紳士、婦人、子供とも必要です。

なんていっても被災地の様子を、地元の人たちもほとんど知らない。なぜか?電気が無いのでニュースが見れないのです。だから、とても喜ばれたのが電池と電池でできる携帯充電器でした。


最後に釜小学校の避難所代表者から。

本当にこうしてきてくれることに涙が出るくらい嬉しく感謝します。
来てくれて声をかけてくれるだけでがんばっていこうという元気が出ます。
まだ道は長くこれから避難所である学校が始まるという現実があります。
避難所から避難所へと移動が出るでしょう。
そして仮設住宅で過ごせる人は限られていてどこを生活の拠点として復興していったらいいのか不安もあります。
仲の良かった友人たちが次々とここを離れていく姿もしょうがないのだけど寂しいです。
しばらく続くこの戦いにどうか支援をお願いします。
忘れないし忘れないでいて欲しい・・・・