自分が本当に欲しいものは何なのか深く掘り下げて行くことは、あなたという存在の真実の姿を見つける手がかりになります。もしあなたが本当に求めているのがあなた自身の一番奥深いところにある核心を知ることだとしたら、「自分」とは何なのかについての思い込みを見直す必要があります。
従来の西洋心理学では、私たち一人ひとりを個人として表現するものはその人の性格であるとされています。けれども実際は、性格とは衣装や仮面のように、ごく表面的な簡単に替えることができるものなのです。あなたの性格を変化させたかったら、既にすばらしい本がたくさん出版されていますし、そのようなセミナー、ワークショップも開催されています。
性格の改善に努めたり性格を変えようとするのは少しも悪いことではありません。それが大いに役に立つこともあります。例えば、大勢の人が一つの部屋に集まって仲良くしたいと思った時、互いに対する節度と尊重を共有できる程度に、そこにいる人たちが性格を調整できていればいいのです。
このような事は性格の領域の話です。性格の改善に努めることは、性格“イコール”あなた自身であると信じこまない限り何の害もありません。ですが、あなたはどんなに性格をよくすることに努めても、そしてついに素晴らしい性格を手に入れたとしても、あなた自身の最も根本的な部分が満足することはないということに気づかされているかもしれません。
一人ひとりの個人、ほかと区別された「自我」としての基本的な自己認識は、性格よりも根源的なものです。「自我」とはいったい何でしょうか? 自我を直接体験することは可能でしょうか? 私たちが幸せになるためには、自我は排除、あるいは補強する必要があるのでしょうか?
つづく。