梅雨の間の夏日です。東京では30度をこえるとの予報です。
フッと震災地のことが気になります。被災者の皆さんが本当に復興に向けて進んでいるのだろうか・・・と
あれから3ヶ月以上がたち季節も変わりました。
先日ハーバードの知性は今回の震災をどのように見ているのか気になる番組がありました。
HARVERD FOR JAPANというハーバードの学生が立ち上げた震災の支援団体が呼びかけて行ったものです。
IAEAの元事務次長のハイノネン教授。
ハーバードの近代日本研究者の第一人者であるアンドリュー教授。
メディカルスクール 救急医療の専門家のステファニーロズボロウ教授。
政治哲学からはマイケルサンデル教授。
都市計画 ミホ マゼレウ講師。
このメンバーでのシンポジウムは大変興味深いものがあります。
今回の震災からどのような教訓を学べて何が出来るのかというものであり、シンポジウムを通じこの震災は私たちを変えるのか?ということに対しての自意識は変化しているのか?
折りしも先日の東電の株主総会で異例の人数と時間の中で原子力発電の今後については法人株主が多い中で全面撤廃は否決されました。
シンポジウムでは、グローバル時代といわれる今の時代に市民としての意識、責任というのは世界規模で果たされるのかという問いから始まりました。
アダムスミスの問い
はるか遠い国で突然未曾有の災害が起こったとすると人々は強い哀悼の意を述べ悲しみを伝え人間の命のはかなさについて感傷的な考察をするでしょう。これらの美しい考察が過ぎると、それぞれが属している国、文化やアイデンティティーのほうが支配的になるのです・・・と。
要は自分の痛みでなければその気持ちは持続できないということです。
しかし同情からさらに深い係わり合いに深い人間関係を築くことができるのか、
より広いコミュニティで自然に対する方法について、原子力の今後について 同情に頼ることなく話し合うことが重要です。
根本的に答えを出すのが難しい事柄です。その前提の上で、国を超えて議論してゆくことがあれば永く続くのではないでしょうか?
人間の共感と関心はグローバルにはなりえないという古い議論が変わろうとしています。
本当に国を超えたグローバルな市民としての意識を共有することは本当に出来るのでしょうか?
もし、このように倫理、政治、哲学などの難しい問題について時には議論し合い、反駁しあってもお互いの意見に耳を傾け学びあうことができるならば、これからは国境とか文化の線を越えて今まで出来なかった経験してこなかったようなことが実現できるかもしれません。
1757年のリスボンの地震では壊滅的な被害がでました。 地震から火災が起こり津波で船や港は壊滅的な被害を受けています。やがてヴォルテール・ルソー・カントらによってこの災害はどのような意味を持つのか
神の怒りの表れなのか・・・
犯した罪への罰なのか・・・黙示録的
それとも科学が説明できる自然現象なのか など
これは当時の啓蒙思想の劇的なの始まりと重なったのです。
今回は同様にグローバル時代の初頭にあたり世界中の人が同時に目撃され、理解されました。
未成熟でそのアイデンティティを身に着けるのがまだ難しいがそれが始まるのかとても興味があります。
そうなるかどうかは私たちの意識と意欲が問われていると思います。
シンポジウム会場からの質問では、今回のような問題では意識に必要なのは理性か感情なのか どちらが必要なのか などの質問が飛び交っていました。
それぞれの教授からの意見では、、
災害時の医療について色々な経験があり日本はとても防災対策が出来ていたと思います。ハイチなどの例では人的災害が多く見られました。
日本での教育や防災計画については被害防止については優れたものがあります。 もし無ければもっ大きい災害が出た可能性があります。
数千人規模の人たちがそれぞれの避難所で屋根の下にいられることも驚きです。 ただ緊急時の意思決定やリーダーシップが通常の全員のコンセンサスを取りながら進めてゆくやり方にはスピードが出ずに問題が感じられた。
政府や団体のリーダーが決断できない合間に何もできないことがままあった。 非常時は日常と違ったリーダーシップを用意する必要があります。
情報の公開のあり方が、災害時の情報は可能な限り正確に、正直に、市民に対していち早く公開されるべきです。 たとえその情報が悲観的なものであってもまず真実を伝えることによって情報不足からくる不安や恐怖からは逃れることが出来ます。
今後復興に移ってゆくのですがメディアが取り上げる回数が少なくなると復興しているかのような錯覚に陥りやすいのですが、実際の復興には、かなりの時間がかかります。
原子力では日本はきちんとマニュアルを用意して災害時の訓練もしていました。 しかし福島では問題が続きました。 地震には耐えましたが、決定的だったのは津波でした。 施設の電源は失われましたが地下の発電が使えず予備バッテリーも浸水してしまったのです。
そうなると、橋も燃料も何もインフラがなくなってしまったのです。 全てが金属で出来ている原子炉は冷やさなければなりませんがそれが出来ずに燃料が溶けてしまい水素が発生し爆発。 しかし翌日には住民を避難させて最小限にはなっていることは評価できます。 この状況は一年くらいつづくでしょう。
吉田兼好 徒然草 世は定めなきこそいみじけれ。
地震を細かく予知することは出来ません。何が起こるかわかりません。
しかし今回は情報開示に問題があったように感じます。 事業者側に問題がありました。 同時に10件の事故が多発的に起こったためにその余裕すらなかったのです。基本に立ち返り再度安全について現場が点検することが必要です。
このような災害の時に全てがスムースに判断して行動してゆくことは無理なことです。 そしてそんな時に誰が悪いとか、すぐにマスメデアは犯人探しをしますが、それには疑問を感じます。
想定外だったのかは疑問が残ります。 グローバル経済の影響が世界中に出るとは誰も知らなかったことです。
防災という分野において日本は先進国でありそれなりの投資も桁違いでありそれはとても大きなことです。 競技場が防災センターになったりできるようにそして備蓄物がしっかり用意されています。
阪神淡路大震災以来多くの費用やノウハウが注ぎ込まれたのです。 また多方面からの検討できる組織が必要なんです。 環境への配慮も必要です。
まさに色々と専門家の立場から見ると問題と解決方法があると思います。
初めに書いたハーバードはそのコミュニティーはある意味、知識で震災について寄与してゆきたいとありましたがこのシンポジウムから多くを学び、貢献するためには私たちは教えと学びと両面がありますが驚くほど学ぶことがあることに正直驚いています。貢献するにはそれを一緒にやっていくことが重要です。 HARVERD FOR JAPANは素晴らしいと思います。
HARVERD WITH JAPANという取り組みでもあるということを示しています。
初めの話に戻りますが、進んだと思っていても復興が意外と進んでいない実態があるようです。
僕もまた再度の支援にいってみるつもりです。
ここのところ行くなら一緒に行きたいという意見も多く寄せられます。 もし興味がある人が僕のブログを見てくれたならばFACEBOOKなどでご意見とともに寄せていただきたいと思います。
それと同時に自分というレベルで今回の震災について何を学び何が貢献できるのか考えてゆくことが、私たちの使命であると思うしそれが集まった時に世界が変わってゆくと思います。
世界中の民主主義が苦戦している印象を持っています。ある種の無力感に襲われているかのようです。
そんな時こそ向き合ってお互いの意見に耳を傾け恐れることなく、現実から避けることなく話し合って欲しいと
サンデル先生は締めくくっています。