2012-12-20

太陽のない朝


悲しくて残念な死だった


中村勘三郎の棺の中に、来春、柿(こけら)落としを迎える新しい歌舞伎座の舞台のその切れ端が入れられた。彼の亡骸の足が、まだ誰も踏んだことのない、真新しい舞台を踏んでいる。彼の亡骸の周りは、彼にそんな恩返しをしてあげたくて仕方のない人間であふれている。

それはとりもなおさず、彼がいままで、どれほど周りの人間に優しい男であったかという証でもある。歌舞伎座の大道具、裏方の人々、そして数えきれないお弟子さんたちが、彼の亡骸に、縋(すが)りつき泣き狂ったようにいつまでも離れられずにいる。その姿は、肉親を失って悲しみに暮れている人々の姿に似ている。

天邪鬼(あまのじゃく)で亡骸に縋りつけないでいるが、僕もたぶん、そのひとりだ。

朝起きるたびに、君の不在を思い知る。

君の死は、あまりにも僕に近すぎる。君の死を語ろうとするたびに言葉を失い、唇が震え、目が霞む。確かに肉親の死に似ている。

君がこうなってしまうまで、君の存在の大きさに気が付かずに生きていた。その意味では、君の死は、隠れてしまった太陽のようだ。起きるたびに、君がいないことを確認して、途方に暮れている。おそらく君と深くかかわった人々のすべてが、そんな太陽のない朝を迎えている。その数の多さに、君の、中村勘三郎の、温かくも激しい人生を見る。
12月5日、午前2時33分に、千駄木にある病院で君は逝った。

僕は慌ただしく、君の死から逃げるように、君の病室から離れ、小日向の君の自宅へと向かった。四か月の闘病を終えて、とうとう君が生きて自宅に帰ってくることは叶(かな)わなかった。

君は紋付き袴に着替えさせられた。六代目尾上菊五郎の着物をかけられて、そして、胸に短刀が置かれた。君は君ではなく、亡骸になった。

午前7時、僕は自宅に戻った。

君が夜中に逝ってしまい、帰ってきた自宅の窓から、富士の山が見えた。たとえようもなく美しかった。月が白くうっすらと西の空に残っていた。紅葉が終わりかけ、冬の訪れを教える真白き富士の嶺と名残の月……「富士紅葉(もみじ)名残の月に 勘三郎」

力が抜けたように息をつきながら、あいつほど「日本人」という言葉が似合う男もいない。そう思った。

たぶんそれは、我々が歌舞伎に見る幻想でもある。「日本人」とは、その昔こうだったんだよ。こういう人だったんだよと、そう描く理想の日本人の姿。たとえば、悪しき力と闘い、市井の人々には心優しい。義理人情に厚く、忠義を守る、喧嘩(けんか)っ早くて涙もろく、苦労を自ら背負って、それでいながら底抜けに明るい。

だがこれは、すべて古い「日本人」の物語であり、歌舞伎の舞台の上だけの話だ。架空の話、絵空事。そう思っていた。ところがどっこい、そんな日本人が今なお本当に生きている、それが中村勘三郎だった。

僕が君と初めて出会ったのは、渋谷の百軒店(ひゃっけんだな)という坂道だ。僕はその頃やっていた小劇場の劇団の仲間と坂道の上から下りてきた。君は歌舞伎の仲間と坂道の下から上がってきた。まるで一触即発のヤクザ映画の出会いのように緊張が走った。だが「同い年生まれだよね」とどちらからともなく話が始まった。一目で気が合うのがわかった。二十代だった。その夜は、そのまますれ違っただけだった。

あれから三十年近く、君と芝居のことを語り続けてきた。君がいつも熱く夢を語り、そのあまりの熱さに、僕が少し覚めたことを言うと、それが君には嬉しいらしく「また、意地悪な目してモノ見るねー」と喜んでくれた。僕は君のまっすぐさが好きで、君は僕の意地悪さが好きだった。

そして君は時に、真夜中であろうが電話をかけてきて「アイデアがあるんだけど、あれ、あの、来年の夏とかあいてる?」あれほど、人を労(いた)わる君が、そういう時はこちらのスケジュールとか体調とかお構いなしだった。そして、いつも主語と目的語が抜けているので、電話が切れたあと、今の話、結局なんのことだったんだ?ということが多かった。そして、残るのは、君の芝居への情熱ばかりだった。

君が僕を歌舞伎の世界に迎え入れてくれて、初めて僕が書いた「研辰(とぎたつ)の討たれ」という芝居の中で、君は、かたき討ちをされる役を演じ、追い詰められた君が、刀を研ぎながら、涙を流して、シラノ・ド・ベルジュラックさながらに語る。

「生きて生きて、まあどう生きたかはともかくも、それでも生きた緑の葉っぱが、枯れて真っ赤な紅葉に変わり、あの樹の上から、このどうということのない地面までの、そのわずかな旅路を、潔くもなく散っていく、まだまだ生きてえ、死にたくねえ、生きてえ、生きてえ、散りたくねえ、と思って散った紅葉の方がどれだけ多くござんしょ」

君が回復していたら、再演しただろうこの芝居のこのせりふをどんな思いで演じてくれただろうか。

でもその願いはもう叶わない。

君は僕と初めて会った日のように、坂道の下から歩いてきたかと思うと、瞬く間に坂の上に消えて行ってしまったのだから。僕にできるのは、あの時のように、茫然と君の背中を見送るばかりだ。


*2012/12/9 3:30日本経済新聞(電子版) 野田秀樹氏の文章より


生き方は最後に現れる 「よ!中村屋!!!」