あの日は振り返れば僕の中で色々と変わった気がする
当日僕は北海道の山にいた
まったく気がつきもしなかった僕は
山を下りてくる車の中のラジオで地震があったことを知るが
そんなひどい被害だとは思わず
街に降りてきて初めて現地が大変なことになっていることに気づく
まだ情報が交錯していたが、凄いことになってしまったことは十分にわかった
すぐに家族と会社に連絡を取ったがどこも全くつながらず・・
僕は孤立してしまった
かけ続けること一時間・・やっとつながった
家族はそれぞれ別の場所にいて会社はそれぞれの被害がでているとのこと
しかし飛行機は欠航
やっと取れたのが翌日の最終便だった
やっとの思いで帰ってきた東京は既に
ガソリンは10Lしか入れられなかった
そんな中で見事に対応してくれていた会社の幹部と現場の社員達
僕がいなくてもきちんとできているんだと
すごく頼もしく、自分の中で任せても大丈夫という変な自信が生まれた
その後被害の凄さを見るにつけてすぐに有志のボード仲間、社員たちと現地に向かい
しばらくはボランティア活動にて現地を支援したことが思い出される
会社には社員会というものがある、その予算を義援金として使いたいとの申し出・・うれしかったな
そこで会社も同額を義援金として用意・・そして各店の店頭で支援物資と義援金を集め出し数百万の義援金と
その後も友人の会社である「アントレックス」さんにも協力してもらい現地に支援物資を運ぶ
引っ越しで頑張っている「アップル」の文字君とも一緒に現地に運んだ
http://kens-style.blogspot.jp/2011/04/blog-post_25.html
そんな仲間と仲間の会社と一緒に支援ができていることに会社の意義を感じ
その時にやっていた公職は全てやめてこの会社とその回りの会社の人たちと
しっかり集中してゆきたいと思い出その後3年は経営に集中してきた
現地とは「TUBOMI」プロジェクトとして東松島町 矢本の集合住宅のみなさんと雑貨小物をつくる
ことは現在でも継続中
http://www.freaksstore.com/news/2013/09/my-outdoor-livin-freaks-store-japan-pride-2.html
少しでも社会に豊かさをお伝えし、外面だけでなく内面から人を元気にできる会社を目指して
今までもきたしこれからも続けていきたいと思う
3年経ちましたが現地の復興はまだ始まったばかりです
みなさん今できることを一生懸命やりながら少しの時間やお金があれば現地に向けて支援を続けていきませんか?
友人とともにGWにやるイベントです
東北復興のイベント「鹿嶋to八戸」
http://ozpro.main.jp